仕事だったが、今日は夜勤がメインなので大叔父の葬儀に参列。生前の精悍な顔つきが見る影も無く、闘病の痕がうかがえた。
斎場にも20数年ぶりに来たが、あの「押せないボタン」は未だにあるんだな。俺は親父が旅立った時、あのボタンを押せなくて泣き崩れてしまった。あれは子供に押させるものじゃないな…と、当時のことをまた思い出していた。トラウマってほどじゃないけど、心に強く残ってしまっている。
待っている間、食事が出た。今時は精進料理じゃないのな。肉も魚もてんこ盛りの、ごく普通の仕出しだった。
そしてお骨拾い。本当に真っ白なんだよな…俺の親父の時には気が付かなかったが、頭蓋骨がほぼそのままの形で残っていた。それを最後に骨壷に入れて終了。最上から葬儀会場に戻り、そのまま初七日まで終えて全行程終了。
葬儀にほぼ最初から終わりまで参加したのは親父の時以来だが、大人になっての参加は初めて。最後のお骨を見て思ったのだが、どんなに大柄だろうとなんだろうと、最後はこんなに小さな骨になってしまう。まあ、骨太とかそういう違いはあるだろうけれど肉体のそれとは大きくは違わないだろう。そういうことを考えていたら、人間なんてものは生きているうちにどれだけ「生きた」かどうかということなんだろうとか思えてきた。大叔父は本当に「生きて」来た人だと思う。
俺はまだ彼の半分くらいしか生きていないが、その中で本当に「生きて」いるだろうか。答えは俺が真っ白になった、その時に誰かが判断してくれるだろう。
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