このコーナーも登場してから早11回目、とうとう次回で最終回である(←よく1年も持ったのー)。思えばコンピュータユーザ会の会報ということを忘れて妙な方向に突っ走ってばかりであった。そこで最後くらいコンピュータよりの話題を、ということで私のパソコン経歴を紹介することにする。
私がはじめて「パソコン」に触れたのは今から18年ほど前、10歳頃である。シャープの「MZ80」とかいうパソコンで、電気部品の店の片隅に展示してあった。キーボードを叩くとそのとおりに画面に表示される。ただそれだけのために結構通いつめた記憶がある。
中1の頃には8ビットパソコンが各メーカーから次々発表され、それらでゲームに興じる。近所の電器屋さんはたちまちゲーセン状態だ。ソフトは、雑誌に載っているプログラムリストを入力していたのだが、売り物のソフトを自分のテープにダビングするという、今なら完璧にとっ捕まってしまうようなことまでが店の人間まで協力して行われていたのは、パソコン黎明期のおおらかさだったのだろう(この店だけか?大型電器店「D」…)。ちなみにこの頃のソフト媒体はFDではなくカセットテープであったため、コピーもデッキが2台あれば出来たのだ。ただし1本のソフトを起動するのに数分はかかっていた。それも今のフリーウェア以下のレベル。でもそのチープな内容が今でもいいなと思っている。但し内容はチープでも値段は数千円だったが。
中3頃になって、初めて1枚のFDを手にする。1枚320KBで2000円もしたそれは、何分もかかっていたゲームの起動を何十本の中から一発で、それも一瞬で行なってくれる魔法の板であった。(この当時のFDは5インチが主流であった。先日雑誌でその5インチFDの生産が完了したという記事を読んだ。時代の流れとはいえ少々淋しい)FDは手にしたが、パソコンはというと電器屋さんからパソコンショップに会場を移動しただけであった。
高2の終わり、ついに我が家にもパソコンが。当時もっともメジャーだった8ビットパソコン、PC8801mkIISR。 これによってBASICによるプログラムの組み方を会得した。といっても大したプログラムは組んでおらず、ほとんどコンピュータミュージック用としてつい近年まで活躍していた。
あれから10年、16ビットパソコンすら完全に化石化した現在の96年4月、3台目のパソコンがくる。東芝製ではないのだが(←愛社精神の無い奴め!)DOS/Vノートパソコンである。32ビット100MHzのCPUのパソコンと8ビット4MHz(←なんかウソみたいな数字)のCPUのパソコンの購入価格がたいして変わらないとは。まあ、そんなことにいちいち驚いていてもしかたないか。私のノートパソコンの値段で、今なら倍くらいの性能のものが手に入るのだから。そして、そういう流れはこれからもずっと続くのだろうし。
この世界の進化には全く驚かされる。中でも1番の驚きは、OSがほとんどのメーカーで共通になったため、結果的にソフトがパソコンを選ばなくなったということだ。数年前は「98」でないとソフトが無い、なんてざらだったし、もっと前になるとソフトは機種別というのが当たり前だったから。メーカー同士の壁が取り払われたから今日の発展を見たのであろう。
おお、2台目のパソコンの事を書いてなかった。ゲーム機として使っていた「MSX」という規格のものだ。これは「愛社精神」を発揮して、東芝のパソピアIQであった。また来月。その後の話:98/9/27記
PCの進化は相変わらず早い。もう100MHzPenだなんて、動かないソフト結構あるし…それでも何とか騙し騙し使ってかなきゃならないからねえ。もう買い換えなんてできそうも無いし(T_T)。しかし、最近のPCって、なんかPCらしくない感じがするのは私だけだろうか…いや、今PC88も同時に現役で動いてるからそう感じるだけなのかもしれないんだけど、今のPCは単なる便利な道具のような気がする。パソコン触ってる!と言う感じがしない。しかし生活の一部には確実になっている…PCが家電に近づいたってことなんだろうか…