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ライブがしたい

 私はバンドを組んでいる。バンド名は「若衆」。「わかいし」と読む。結成した当時はみんな20代前半で若かったので他のバンドの人に付けられたのだが、既に5年が経過した今では、じわじわと羊頭狗肉になりつつある。
 編成はオーソドックスな5人編成(ヴォーカル・ギター・キーボード・ベース・ドラムス)。ジャンルはハードロックとフュージョンで、割とかけ離れた二面性を持つ。フュージョンとしてはF1のテーマ(パチンコ屋のラッキータイムの曲と言ったほうがいいか?)で知られる「T-スクェア」のカヴァー、ハードロックではオリジナルとカヴァーを半々。主なカヴァーは「TOTO」(96年4月には広島公演も行われた。サイコーであった!)「ジャーニー」で、他にもあるが今の所洋楽のみである。オリジナルは私が作詞をしているのだが、個人的には「中島みゆき」等が好きなため暗めの歌詞になってしまうのが難点だ。
 私の担当はヴォーカルと管楽器である。だが「若衆」に入る数年前まで、自分が人前で歌うなど考えられなかった。だいたい飲み会でのカラオケすら大嫌いだったのだ。当時は歌える曲が「中島みゆき」ぐらいしかなく、場を盛り下げることこの上無し。そんな私を改革すべく高校時代の友人が無理やりカラオケボックスに連れて行き、いろんな曲を教えてくれたのだ。そして声の高い事を指摘され、のせられた私は高い声質の要求されるハードロックバンドをやってみようかという気になったのである。そのころ「若衆」はヴォーカルがぬけたため、地元ミニコミ紙に募集を出していた。そこに私が食いついたというわけだ。
 ライブ活動は過去に7回程度。5年間活動しているわりには少ない。そのわけはリーダーの仕事多忙(1年の3分の1を出張で地元にいない)がもっとも大きい。ほかにもキーボード(リーダーの嫁さん)は育児のため2年前から活動しにくくなっているし、前途は多難な我々であるが「デフ・レパード」に比べりゃなんてことはない。(このバンドはドラムスは事故で腕を無くすは、ギターは亡くなるはでとても活動なんかできそうに無いのに現役だ(ドラムスは片手で演奏!)。ちなみに前述の「TOTO」もリーダー(ドラムス)が事故死しており復活したことが信じられないくらいである)数年前のライブで小中学生にサインをせがまれたあの時に、きっと戻ってやるぞと全員が思っている限り活動停止することはないであろう。(あくまで予定であるが今秋、2年ぶりにミニライブができそうなのでそれを糧に生きている今日この頃…)しかし我々のサインをもらったあの子達は、まだそれを持っているのだろうか。考えないほうが幸せなこともあるか。また来月。

その後の話:98/9/27記

 相変わらず若衆は活動しにくい状況下にある。それでも98/8にはライブを行なえたので本当に良かったが。で、私の方は他に2つほど新たにバンド活動を始めたので月に一度くらいライブができている。それはそれでいいのだけど、やはり若衆のオリジナルをバアーーーンと人前でやりたいと言う気持ちは捨て切れない。その思うくらい完成された曲が多いのだ。リーダーはもう直2年間のドイツ滞在に向かう。来世紀には復活したいものだ。いや、必ず復活するのだ!!

 

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